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日高逸子女子競艇が凄い!生涯賞金8億!事故の経過は?旦那の噂も [女子競艇選手]

女子ボーレース界の女王といえば、この人しかいません!日高逸子さんですね^^;

平山選手や平高選手、鎌倉選手など若手が進出してきた中でも、女艇王として

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現在も頑張っておられます。先日開催された戸田競艇「GIIIオールレディース」の

最終12R優勝戦でトップを航走しながら落水すると言うアクシデントに、

見舞われました。怪我の有無などが心配されましたが、一夜明けた、朝6時49分に

Twitterで、打撲と呼吸が苦しいだけで骨折などはしていないとの報告が有りました。

「選手生活初の入院と救急車搬送!」と綴り、デビューしてから初めて救急車で

搬送され入院したことを明らかにしました。(無事でよかったですね^^;)

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レーサーになるまでの人生は、波乱万丈だったという。幼いうちに両親が離婚して、

宮崎県串間市で祖父母に育てられた。小学生のころから新聞配達や農作業をしながら

奨学金で高校を卒業し、それから、東京へ飛び出し、住み込みの新聞配達などで

必死にお金を工面しながら・・。

「いつか自分に合う仕事が見つかるはずと、そんな思いで働いていたという

日高さんに転機が訪れたのは、22歳のときでした。普段はほとんど見ないテレビ


つけたら、ボートレーサー募集のCMで「ボートに乗って年収1000万円」!!

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という言葉が飛び込んできた。1000万円という金額に惹かれ、履歴書を送った

という日高逸子さん。現在はボートレース界の女王として活躍していますが

今回は、その日高逸子さんの「石橋を叩かず渡りまくって」

たどり着いた道はどんな道筋だったのか?

結婚した旦那が主夫になった!や子供の事など、50歳を過ぎた今もなお

トップグループで活躍している、ママさんレーサーとなった

日高逸子さんのあれこれを、調べて見ました。


日高逸子プロフィールとエピソード

本名:日高逸子

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ニックネーム:グレートマザー

国籍:日本

出身地:宮崎県串間市

生年月日:1961年10月7日

身長:155cm

体重:49kg

血液型:A型

所属 福岡支部

登録番号 3188

登録期 56期

級別 A1級

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特徴 自在

選手実績

デビュー日 1985年5月

記念優勝  2 回

GI優勝  2 回

GII優勝  1 回

GIII優勝 24 回

GⅠ賞金女王決定戦(2014年)

もっと詳しくは此方からどうぞ^^;

1000万円という金額に惹かれ、履歴書を送った日高逸子さん。

「ボートがどんなスポーツかも知らなかったから、試験会場で走るボートを

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見たときは言葉を失なったという。スピードと、次々とひっくり返って冷たい湖に

身を投げ出される光景に・・・。 ^^;

それでも33倍の難関を突破し、養成所へ入所しました。

「年齢も性別も関係なく、同じフィールドで戦えるのがボートレースの魅力ですね」と

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まっすぐな眼差しで語るのは、28年にわたりボートレーサーを続ける日高逸子さん。

結婚した相手が“主夫”となり、出産後もすぐに仕事復帰。

女子王座決定戦を2度制覇し、生涯獲得賞金は8億円にものぼるという。

50歳を過ぎた今もなおトップグループで活躍しておられる日高逸子さんです。

☆G1第3回クイーンズクライマックス優勝戦 ボートレース住之江




「石橋を叩かず渡りまくって」たどり着いた道は!

日高さんが幼いうちに両親が離婚して、宮崎県串間市で祖父母に育てられ、

小学生のころから新聞配達や農作業をしながら、奨学金で高校を卒業し、

信用金庫に入行するも1年で退行すると、東京へ飛び出し、

住み込みの新聞配達などで必死にお金を工面しながら製菓学校や、

旅行専門学校に通ったり、旅行会社や喫茶店で働いたり・・。

祖父母に仕送りしつつ、必死に自分の道を探し求めていたそうです。

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「いつか自分に合う仕事が見つかるはず。そんな思いでした。でも、

どれも失敗とは思ってないんですよ。私、プラス思考だから」と明るく語る日高さん。

そんな日高さんに転機が訪れたのは、22歳のとき。普段はほとんど見ないテレビを

つけたら、ボートレーサー募集のCMで「ボートに乗って年収1000万円」という

言葉が飛び込こんで来た!

1年間の訓練は、過酷だった。ボートは時速80kmに達し、転覆して水面に投げ出さ

れると、後続のボートにひかれて命を落とす可能性も免れない。

一瞬たりとも気を抜けない。入所から2か月、同期生が上達するのに、

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日高さんはまともに走ることすら難しい。恐怖感と自信喪失がピークに達し、

辞めようと決意しました。

通りかかった教官に「私、辞めます。帰ります」と告げると、思いがけない

言葉が返ってきた。「まあ、落ち着け。お前の作文を読んだが、帰るところな

んてないじゃないか」。

それは、入所後に、すぐに書かされた作文のことだった。日高さんは両親の離婚など

もあって、小さなころから働き続け、職を転々としたことを正直に書きつづっていた。

教官はその内容を覚えていたのだ。そして「実は俺もお前と同じ串間の人間だ。

負けるな」と声をかけてくれた。「温かい心にふれてうれしかった。

『私にはこれしかない』と思い直しました」。

そして、もう一度だけ辞めたいと思ったのは、同期のエースの落水事故を目の当たりに

したときだったと言う。「水面が真っ赤に染まり、救急車に乗せられた彼の顔から

血が吹き出していました。その光景が何度もよみがえり、体が震えるほど怖くて

たまらなくて。

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もともと私には才能がないから人の何倍も練習していたけれど、恐怖心を追い払うため、

さらに練習に打ち込みました」と明かしていましたね。

福岡支部に配属となり、ボートレース芦屋でデビュー。

3度目のレースで早くも1着をとり、その後もぐんぐん成績を伸ばした。

全国でレースに挑むため、1か月のうち20日ほどは家を空けるので、34歳で結婚した

夫は東京在住だったが、自分が福岡で“主夫”をすること、日高姓になることを快諾。

ここで旦那さんの、プロフィール

日高 邦博(ひだか くにひろ、旧姓:井上、1961年11月2日 )は、

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新潟県出身の主夫である。とウイキペディアにはなっています。

新潟県東蒲原郡(現在の阿賀町)出身。高校を卒業後、製薬卸会社へ就職のため上京。

東京・中野の旅行専門学校に入学。そこで後の妻である日高逸子と出会い、

卒業後、旅行会社に入社。その後、友達として付き合っていた逸子が競艇選手に

転身した一方、邦博は企画会社に転職

逸子との長い付き合いの末、1996年8月8日に結婚。これを機に邦博は日高姓に

変える。1997年3月7日長女が誕生したのを機に福岡で主夫となることを決意、

1999年7月5日には次女が誕生し、現在は2人の子供の家事・育児全般をこなし

ているという、とても優しい旦那さまであり主夫の邦博さんです。

おかげで日高さんは、2児を出産後も2か月で仕事に復帰した。

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「優しい夫を信頼しているから、何でも安心して任せられる。産休明けにボート

に乗るときは、うれしくて楽しくてたまらなかった」と笑顔をみせていましたね。

デビューから28年、今はママレーサーも多いという。早朝1時間のヨガで心身を

整えるのが日高さんの日課だそうです。

「1日でも長くボートに乗り、1回でも多く勝ちたい!。

57歳の女性レーサーもいたし、やれるところまでやる」ときっぱり。(凄い!)

そして、「あきらめなければ、絶対にいろんな道がありますよ」とにっこり笑う。

「独身のときは、優勝しても負けてもひとり。家族ができてからは、

喜びは何倍にも膨らみ、落ち込んでも次に頑張ればいいと思えるようになりました」

とうれしそうに話す日高さん。月20日ほどのレース期間中、家族はもちろん外部との

連絡は一切禁止なのだそうです。家族がボートレース場で観戦することも許されない

と言う。

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「レースに行く前は、必ず娘たちとハグします。その瞬間が本当に幸せですね」。

家族の存在が、かけがえのない原動力となっている。自宅で過ごすときは、

子どもの弁当やお菓子も作る。

それは「家を不在にしたことの罪滅ぼしとかじゃなくて、自分がしたいから」

とあくまで自然体で家族の存在の喜びを語ってくれましたね。

勝負の世界とは又別の顔の日高逸子さんでしたが、まだまだ活躍をして

その勇姿を見せて欲しいですね^^/

獲得賞金8億円!ニックネームはグレートマザー!

生涯獲得賞金は約8億円。「初代女王を目指す! ティアラをかぶってマントも着たい」

と臨んだ先週の第1回賞金女王決定戦でも優出を果たすなど、50歳を過ぎても、

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なお第一線で活躍するボートレース界の「グレートマザー」日高逸子さんです。

57歳で引退した古川美千代選手が目標で「その年齢を超えたい」のだという。

「ヨガをレース中も宿舎で毎日やり、プライベートでもスタジオに行っている

そうですね。

プロ入り当初は苦労もあった。「下手だったので、人よりたくさんボートに乗って

練習したとういう。一人でボートに乗りに行ったことも」と、当時を振り返って

語ってくれましたが常にトップを走っていながらも、他人よりも多く練習を

心がけてこられた日高さんでした。

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この辺りが高い勝率を維持してこられたのだろうと、筆者も感動をするところですが

プロになってから苦労したことといえば、

「選手持ちペラ制度のとき、プロペラの整備に苦労し、全くエンジンがでなくて、

B級に落ちた時には、いろいろな方に助けてもらった」という。

いつも目標にしている事は「舟券にからむこと」

「趣味はヨガ。ハードなヨガとホットヨガの2カ所のスタジオ通いだそうだ

特技はケーキ、パン作り」

日高逸子さんからボートを知らない方へのメッセージです。

「男も女も関係なく、年齢も関係なく、水上で戦っております。こんな競技は

他ではありえません。

ぜひ、ボートレース場に足を運んで、生のボートレースを見てください」

日高さん応援してますよ^^/



最後まで読んで頂き有り難うございます

もし宜しければコメント欄に感想などを

頂ければ幸いです!


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